・・・はんげしょうず。
半夏(はんげ)とは烏柄杓(カラスビシャク)という
サトイモ科の薬草として利用される草のことだそうです。
まったくもって、見たこともないし、調べてみても
やはり、見つけたこともない草でした。
おはようございます。
今年は4月に来訪したツバメを最初として、今もまた子育てが
始まろうとしています。同じ夫婦かどうかはわかりません。
雛たちを巣立たせてから一日もあかずして夫婦がやって来たことから、
二度目の子育てではないかと和気藹々、近所の人たちと話しています。
どちらにせよ楽しみでもあり、また、無事に育つだろうかと気を揉む
日々が始まることにはかわりありません。
先日、読書する中で「啐啄」という言葉を見つけました。今まではただ
漠然と前後の文章からこういう意味だろうな~、なんていい加減な理解
をしたままであったのを「啄む」(ついばむ)という字が気になり、
ちゃんと調べてみたわけです。
「啐」とは卵の中のヒナが「もうすぐ生まれるよ。」と内側から殻を
つつく音。「啄」とは、そんな卵の変化に気づいた親鳥が「ここから
出てきなさい。」と外側から殻をつつく音。とありました。
なんか、感動する言葉ではありませんか。実際、ツバメの夫婦も
きたるべき時が来れば巣の中を覗きこみ、そのようなしぐさをして
います。あの殻をはさんで親子が向き合い、合図を送り合っている
のかと想像すると気持ちが熱くなります。が、反面、一度破って
しまった殻は元には戻りませんから、そのタイミングがずれると
命にもかかわることになります。
禅語に「啐啄同時」(そったくどうじ)という言葉があり、師弟の
関係でも教えを施す絶妙な機会がある。また、逃がしたらもう二度
と来ない大切な機会のことをいう。とありました。
そう、師匠と弟子、コーチと選手、教師と生徒との関係性です。
教え子があと一歩で殻を破ることができることを見逃さず、どこを
破ればいいのかをそっと示して、その成長を促すこと。
「啐啄同時」いい言葉ですね。
私も塾長に再三再四言われています。良きコーチになること。
それには、教え子をよく見る眼が大切で、音なき「啐」を感じ取る
知覚が欠かせないということだ。
ううっ。。。
がんばります。
今日も一日、いい日でありますように。
★つばめ通信★
まさに「啐啄同時」真っ最中。
おめでとう。
無事に5羽のヒナが孵りました。